太宰治『人間失格』衝撃の真相|なぜ今も若者の心を掴み続けるのか
第一の手記の冒頭に記された「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当がつかないのです」という一節は、近代日本文学屈指の名言として知られています。この言葉の裏には、世間の一般的な常識や欺瞞に適応できず、常に「他人の眼」におびえて生きてきた人間の絶望的な告白が秘められています。
主人公・大庭葉蔵のモデルは、執筆者である太宰治自身の生涯・経歴そのものです。青森県津軽の大地主・貴族院議員の津島家に生まれた太宰(本名:津島修治)は、幼少期から大家族や使用人に囲まれて育ち、本音を偽る性格を形成しました。
太宰の年表を紐解くと、東京帝国大学仏文科の中退、左翼運動への関与、田部シメ子との鎌倉小動崎での心中未遂事件、パビナール(麻薬性鎮痛薬)中毒による精神病院入院歴など、葉蔵の辿った軌跡とほぼ寸分違わず重なり合います。ただし、文芸批評の世界では「単なる私小説的告白ではなく、太宰が自らの醜怪さや弱さを極限まで戯画化・純化して構築した高度な虚構(フィクション)」として評価されています。