ボンタンアメは飴じゃない?衝撃の餅菓子説と誕生秘話を徹底検証
餅菓子であるならば、なぜ名前に「アメ」と付けられたのでしょうか。その背景には、大和の菓子文化と大正モダニズムが交差するドラマチックなボンタンアメ 歴史 誕生秘話が存在します。
鹿児島県鹿児島市に本社を置くセイカ食品の創業者・玉川秀紀氏は、大正時代初期、当時日本市場を席巻し始めていた舶来の「ミルクキャラメル」に対抗できる国産菓子の開発に情熱を燃やしていました。ある日、同社の工場で職人たちが鹿児島の郷土菓子である朝鮮飴(求肥に水飴を練り込んだ餅菓子)の切れ端を、ハサミで小さく切って丸めて遊んでいた光景を目にします。「これをキャラメルのようにひと口サイズに成型し、携帯できる菓子にできないか」と閃いたのがすべての始まりでした。
さらに、地元・鹿児島県阿久根市などで栽培されていた柑橘類の王様「阿久根文旦(ボンタン)」の果汁を取り入れ、爽やかな風味をプラス。ボンタンアメ 名前の由来は、ルーツとなった伝統菓子「朝鮮飴」の『飴』の文字を受け継ぎつつ、主原料の文旦(ボンタン)を組み合わせたことに由来します。南九州の誇る鹿児島 伝統菓子のDNAを宿しながら、当時最先端のハイカラな菓子として世に送り出されたのです。