最後の浮世絵師・月岡芳年の壮絶生涯!血みどろ無残絵と狂気の真相
月岡芳年にまつわる情報の中には、センセーショナリズムによって歪められた誤解がいくつか存在します。作品を正しく鑑賞するためにも、以下の2つの盲点を把握しておく必要があります。
誤解①:「芳年は浮世絵の技法しか知らなかった旧時代の画家である」
これは完全な誤りです。芳年は師の国芳譲りの西洋画研究に熱心で、当時日本に輸入されていた西洋の解剖図や銅版画、油彩画を徹底的に模写していました。人物の骨格や筋肉の付き方、服の皺が描く立体感には明らかな西洋画のデッサン力が反映されています。伝統的な木版画の技術を用いながら、中身は極めて近代的なハイブリッド表現を行っていた絵師でした。
誤解②:「無残絵ばかりを描いていた猟奇専門の絵師である」
無残絵が芳年の代名詞のように語られることが多いものの、彼の膨大な全作品数(数千点)から見れば、血腥い場面を描いたものは初期の一時期を中心とする一部に過ぎません。歴史画、武者絵、美人画、時事報道画、妖怪画、静謐な風景画まであらゆるジャンルを手掛けており、多彩な表現力を持った万能の巨匠であった点を見落としてはなりません。