正月飾りいつ外す?関東・関西の違いと処分作法を完全解説
「なぜ同じ日本国内で1週間以上も期間が異なるのか」という疑問には、江戸時代の政策転換と情報伝達の歴史が深く関係しています。
もともと日本全国において、松の内は1月15日の小正月までとされていました。この慣習が一変したのは、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の時代である寛文2年(1662年)のことです。
幕府は江戸市中に対し、「正月7日をもって飾り松を取り払うべし」という通達を発令しました。この背景には、以下の2つの歴史的要因があったと記録されています。
第一に、江戸の大火対策です。乾燥した冬の江戸市中に藁や松などの燃えやすい正月飾りが長期間掲げられている状態は、火災延焼の重大なリスクとなっていました。明暦の大火(1657年)をはじめとする大火災を経験した幕府にとって、防火は最優先の都市政策でした。
第二に、徳川家光の命日と鏡開きの調整です。第3代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、毎月20日は忌日とされました。もともと松の内明けの1月20日に行われていた「鏡開き」を、20日を避けて1月11日へと前倒しした結果、鏡開きより前に神様をお送りする必要が生じ、松の内自体が1月7日に短縮されたのです。
この幕府のお触れは江戸近郊を中心に行き届きましたが、幕府の直接的な支配下から距離のあった上方(関西地方)や地方都市には定着せず、古来の「1月15日締め」という伝統がそのまま残り続けました。