「鎖国」の意味をわかりやすく解説!実は国を閉ざしていなかった真相
江戸幕府が厳格な対外管理へと舵を切った背景には、複合的な政治的・宗教的要因が存在します。最大の引き金となったのは、キリスト教(カトリック)の布教に対する危機感でした。
当時、布教活動を進めていたスペインやポルトガルといった南蛮諸国には、植民地拡大の野心が見え隠れしていました。さらに、キリシタン大名や信徒が神への信仰を最優先し、幕府の絶対的な支配体制を揺るがす恐れが生じたのです。その危機感を決定づけたのが、1637年に勃発した島原の乱でした。農民や浪人、キリシタンが一体となった大規模な反乱に衝撃を受けた幕府は、禁教政策を一気に加速させます。
徳川第3代将軍・徳川家光の治世において、1633年の第1次鎖国令から段階的に法令が発布され、1639年の第5次鎖国令によるポルトガル船の来航禁止、そして1641年のオランダ商館の出島移転をもって、幕府の管理体制が完成しました。