天才か異端児か?石原莞爾の衝撃エピソードと東條英機を激怒させた真相

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傲岸不遜な軍師というパブリックイメージの一方で、石原莞爾には部下や農民たちから絶大な信頼を寄せられる人間味あふれる素顔がありました。その数奇な歩みを年表と名言で振り返ります。

年代主な出来事・足跡1889年(明治22年)山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に誕生。1918年(大正7年)陸軍大学校を次席で卒業。ドイツ留学などを経て軍事思想を深化させる。1931年(昭和6年)関東軍作戦参謀として満州事変を主導。満州国建国を推進。1937年(昭和12年)参謀本部作戦部長。盧溝橋事件後の戦線拡大に猛反対し更迭される。1941年(昭和16年)東條英機との対立により予備役に編入(事実上の失脚)。1945年(昭和20年)終戦。山形県飽海郡遊佐町にて農業に従事し、東亜連盟の思想普及に尽力。1947年(昭和22年)東京裁判の酒田臨時法廷に出廷。「ペリー」発言で検察側を圧倒。1949年(昭和24年)膀胱癌のため山形県にて死去(享年60歳)。

石原が遺した名言には、彼の鋭利な知性と揺るぎない覚悟が刻まれています。

「油が欲しければ油を買いに行け。なぜ戦争を始めるのか」
米国の石油禁輸措置を受け、対米開戦へと傾く軍上層部を痛烈に批判した言葉です。資源獲得のために勝ち目のない戦争へ突入する愚挙を、終始冷静に見据えていました。

「物事を成し遂げるには、狂人と呼ばれるほどの気概と、緻密極まる計算の両方が要る」
大胆不敵な行動の裏に、徹底した情報分析と論理的思考を忍ばせていた石原の真骨頂を示す言葉です。晩年は質素な農村生活を送り、訪ねてくる若者や元兵士たちに温かく接しながら、日本の将来を憂い続けました。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。