キティちゃんデザイナー交代の全真相!歴代の軌跡と山口裕子の現在

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ハローキティは一人の天才作家が孤独に生み出したものではなく、時代の要請と女性デザイナーたちの繊細なバトンリレーによって育まれてきました。歴代の担当者がどのような背景で交代していったのか、その歴史を紐解きます。

初代デザイナーは、武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業後、サンリオに入社した清水侑子(しみず ゆうこ)氏です。1974年当時、サンリオはスヌーピーなどの海外版権に頼らない自社オリジナルキャラクターの創出を急いでいました。清水氏が「子猫」をモチーフにスケッチを描き起こしたことが、すべての始まりでした。翌1975年3月、小さなビニール製のがま口「プチパース」(当時定価220円)の絵柄として世に送り出されたのがキティのデビュー作です。

しかし、清水氏はキティ誕生からわずか約2年後の1976年に結婚のためサンリオを退社。これが最初のデザイナー交代となりました。キャラクタービジネスが今ほど巨大な産業として確立されていなかった昭和の時代、女性社員の寿退社はごく一般的な光景であり、キティも一過性のファンシーグッズ向けキャラクターとして終わる可能性すらありました。

その危機を受け止めたのが、2代目デザイナーの米窪満寿美(よねくぼ ますみ)氏です。米窪氏は1976年から1979年までの約4年間を担当しました。彼女の功績は、清水氏が描いた「横を向いて座っている平面的な子猫」に生活感や物語性を付与した点にあります。正面を向いて座るお座りポーズを導入し、家族やボーイフレンド(ダニエル・スターの原型となる存在)など、キティを取り巻く世界観の土台を構築しました。

米窪氏もまた自らのステップアップや家庭の事情を機に退職することとなり、キティは「次代の担い手」を探す社内コンペに委ねられることになります。そこで頭角を現したのが、当時入社2年目だった山口裕子氏でした。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。