第五福竜丸展示館の真実|ビキニ事件と廃船危機を越えた保存の軌跡
第五福竜丸の歩みを知る上で避けて通れないのが、1954年3月1日未明に太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で強行されたアメリカの極秘水爆実験「キャッスル作戦(ブラボー実験)」です。その爆発威力は広島型原爆の約1,000倍に相当する15メガトンに達し、当初アメリカ軍が設定した危険区域の外側で操業していた静岡県焼津港所属の第五福竜丸を直撃しました。
早朝の西の空に閃いた不気味な光と、数分後に船体を揺らした地鳴りのような爆風。そして数時間後、晴天の空から雪のように降り注いだのが、サンゴ礁が破砕されて放射性物質を取り込んだ白く細かい粉末、いわゆる「死の灰」でした。乗組員23名は防護装備もないまま直接灰を浴び、船上に積もった粉末を素手で掃き清めるなど過酷な環境に晒されることになります。
帰港後に乗組員全員が急性放射線症を発症し、東京大学医学部附属病院や第一国立病院へ緊急搬送されました。この未曾有の事態において、無線長だった久保山愛吉さん(当時40歳)は半年間にわたる懸命な治療の甲斐なく、同年9月23日に息を引き取りました。公の場で報じられた病床での最期の叫び「原水爆の被害者は、私を最後にしてほしい」という遺言は、核兵器廃絶を求める巨大な国民的うねりを生み出す契機となりました。