冠位十二階とは?聖徳太子が世襲を壊した真の狙いと色の序列を徹底解説
Q1:冠位十二階を制定したのは聖徳太子一人なのですか?
A1:かつては聖徳太子の単独の偉業のように語られていましたが、現代の歴史研究では、推古天皇の承認のもと、摂政であった聖徳太子(厩戸皇子)および当時の国政を主導していた蘇我馬子を含む共同統治体制の中で議論・策定された政策であると考えられています。
Q2:冠の色である「紫」はなぜそんなに高貴とされたのですか?
A2:当時、紫を染めるための「紫草(むらさき)」の根は栽培が極めて難しく、大量の植物からわずかな染料しか抽出できない最高級品でした。また、中国の歴代王朝において天帝の星とされる北極星周辺を「紫微垣(しびえん)」と呼ぶなど、思想的にも最高位のシンボルカラーとされていたためです。
Q3:冠位十二階はいつ廃止されたのですか?
A3:大化の改新後の大化3年(647年)に孝徳天皇によって「冠位十三階」が制定されたことで発展的に解消されました。その後も冠位十九階(649年)、冠位二十六階(685年)など細分化が進み、大宝元年(701年)の大宝律令によって「一位」から「少初位」までの位階制へと統合されていきました。
Q4:冠の形や素材にはどのような違いがあったのですか?
A4:冠は薄い絹織物(羅や綾)で作られ、身分によって濃淡の染色が施されていました。大徳や小徳などの上位階層には縁取りや装飾に金銀の装飾具(冠飾)が付けられ、遠目からでも即座にその人物の位階が判別できる工夫が凝らされていました。