イギリス4つの国はなぜ分かれている?歴史と決定的な違いを徹底解説
イギリスが4つの国から構成されている背景には、数百年以上にわたる軍事衝突、宗教対立、政略結婚、そして議会統合という複雑な歴史が存在します。最初から1つの国として生まれたのではなく、強大な軍事力を持ったイングランドが周辺地域を段階的に統合していったのが実情です。
1. ウェールズの併合(13世紀〜16世紀)
古代ケルト人の血を引くウェールズは、1282年にイングランド王エドワード1世によって征服されました。エドワード1世は生まれたばかりの我が子に「プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)」の称号を与え、ウェールズ支配の象徴としました。この伝統は現代の英王室皇太子(現ウィリアム皇太子)にも受け継がれています。1536年の連合法によってウェールズは法的にイングランド王国へと完全に統合されました。
2. スコットランドとの同君連合と合邦(1603年・1707年)
イングランドと熾烈な戦争を繰り返していた北方の雄スコットランドは、戦争ではなく王位の継承によって接近します。1603年、イングランドのエリザベス1世が後継者なく死去した際、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王(ジェームズ1世)を兼務する「同君連合」が成立しました。その後、1707年の連合法により両国の議会が統合され、「グレートブリテン王国」が誕生しました。
3. アイルランドの過酷な併合と北アイルランドの分離(1801年・1921年)
アイルランド島は16世紀以降、イングランドによる過酷な植民地支配と宗教的弾圧を受け続けました。1801年に正式に併合され「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」となりますが、19世紀半ばのジャガイモ飢饉などを経て独立運動が激化します。1921年の英愛条約によりアイルランド南部26県が独立(後のアイルランド共和国)した際、プロテスタント系入植者が多数派を占めていた北東部6県のみがイギリスに残留することを選択し、現在の「北アイルランド」となりました。