吉田清治の証言はなぜ虚構となったのか?誤報の経緯と人物像の全貌
吉田清治氏の著作や講演で語られた最も過激な内容は、1943年に軍の命令を受け、韓国の済州島で200人近くの若い女性を奴隷狩りのように強制連行したという証言でした。国家権力による直接的な暴力動員の「決定的証拠」として語られたこの告白ですが、早い段階から歴史研究者の間で疑義が生じていました。
この証言の信憑性を決定的に崩したのが、現代史家・秦郁彦氏による1992年の済州島現地調査です。秦氏は現地へ渡り、吉田氏が連行を行ったと主張する村の古老や郷土史家、当時の地元警察関係者、地元新聞社への徹底的な聞き込みを実施しました。
調査の結果、島民たちからは「そんな事件は一切起きていない」「200人も連行されれば島中で大騒ぎになるはずだが、誰も聞いたことがない」という証言が一様に得られ、吉田氏の主張を裏付ける痕跡は完全に皆無でした。さらに、当時の済州島民の人口動態や労務動員の記録とも明確な矛盾が存在することが浮き彫りになったのです。
秦氏による調査結果が発表された後、吉田氏は週刊誌の取材等に対し「本に真実を書いても売れない」「フィクションを混ぜた」などと曖昧な釈明を繰り返し、最終的には自らの証言が創作であったことを事実上認める形となりました。