「ヒゲの殿下」寬仁親王の波乱の生涯|家族の絆と壮絶な闘病の真実

「ヒゲの殿下」寬仁親王の波乱の生涯|家族の絆と壮絶な闘病の真実にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。

寬仁親王の代名詞となった立派な顎髭は、英国留学からの帰国時に生やされていたものが定着したとされています。当時、皇族が髭を蓄えることは極めて珍しく、昭和天皇からも尋ねられたそうですが、「カミソリ負けをするため」とユーモアを交えて説明し、自らのスタイルを貫き通しました。

親王の飾らない人柄を示すエピソードは枚挙にいとまがありません。1970年代にはニッポン放送の看板番組『オールナイトニッポン』に皇族として初めて出演。軽妙なトークと若者の悩みに真正面から向き合う姿勢でリスナーを驚嘆させました。

また、生涯をかけて取り組まれたのが障がい者スポーツの振興と福祉活動です。日本障害者スキー連盟の会長などを務め、自らも選手たちと同じ宿舎に泊まり込んで酒を酌み交わすなど、身分にとらわれない真の共生を実践されました。「福祉とは施しではなく、共に生きること」という強い信念に基づいた行動は、福祉現場の指導者や選手たちから絶大な信頼を集めました。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。