志村けんの若い頃が菅田将暉似のイケメン?秘蔵写真と壮絶下積みの真相
志村けん(本名:志村康徳)さんは、1950年(昭和25年)2月20日、東京都北多摩郡東村山町(現・東村山市)に3人兄弟の末っ子として誕生しました。父・憲司さんは小学校の教頭を務める極めて厳格な教育者であり、家庭内は常に張り詰めた空気に包まれていました。食事中に私語を発することすら許されない厳格な環境において、唯一家族全員で笑い合うことが許されたのが、テレビに映るお笑い番組の時間だったと自著などで述懐されています。
思春期を迎えた志村さんは、父の敷いたレールに激しく反発し、カルチャーと音楽の世界へ没入していきます。特に1966年、日本武道館で開催されたザ・ビートルズの来日公演を生で目撃した経験は、彼の人生観を大きく揺さぶりました。自身もエレキギターを手に取り、当時台頭していたグループ・サウンズやソウル、ファンクミュージックに深く傾倒。単なるお笑い志望の青年ではなく、最先端のリズム感覚とビートを身体に叩き込んだミュージシャン志向の青年として青春期を過ごしました。
この若い頃に培われた卓越したリズム感や音楽的素養こそが、のちにドリフターズのコントで見せた神がかり的な「間」の演出や、ヒゲダンスのBGM選曲(テディ・ペンダーグラスの楽曲を原曲としたソウルビートの導入)へと昇華されることになります。