中村梅雀の家系図と現在|名門歌舞伎の血脈と25歳差再婚の真実
中村梅雀の芸能活動は、1965年、わずか9歳のときに本名の「中村三昭」名義で踏んだ前進座の舞台が原点となります。1980年に父の前名である「二代目中村梅雀」を襲名し、劇団の若き看板役者として期待を一身に集めました。古典歌舞伎の舞台に立ち続ける一方で、劇団の集団行動と個人の芸術的欲求との間で葛藤を抱えていたことは、本人の手記や過去の回顧録でも率直に吐露されています。
転機となったのは、映像作品への本格進出でした。1995年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』における徳川家重役は、言語障害と身体の不自由さを抱えながらも聡明さを秘めた難役でしたが、梅雀はこの人物を圧倒的なリアリズムと気品をもって演じ切り、日本放送映画藝術大賞優秀助演男優賞を受賞。一躍、全国区の名バイプレイヤーとして世間に認知されることになりました。
この大ブレイクを経て、梅雀は2007年に劇団前進座を退団するという大きな決断を下します。祖父が創設し、父が座長を務める「劇団のプリンス」が組織を離脱することは、当時の演劇関係者の間で激震をもって受け止められました。しかし、そこには親子の不仲といった皮相な理由ではなく、「梅之助の息子」「前進座の跡継ぎ」という色眼鏡を外し、一個の役者として、さらにはライフワークであるエレクトリック・ベースの音楽家として勝負したいという強い自立心が作用していました。父・梅之助も最終的にはその決意を静かに受け入れ、2016年に85歳で逝去するまで、一役者としての息子の成功を陰ながら応援し続けました。