山本五十六「やってみせ」全文の真実|人は動かじの続きと現代育成論
この名言が生まれた背景には、連合艦隊司令長官・山本五十六の経歴と、日本の名君たちが培ってきた人材教育の系譜が色濃く反映されています。
1884年(明治17年)、新潟県長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれた山本五十六は、旧長岡藩の武士道精神と合理主義を受け継ぎました。ハーバード大学への留学やアメリカ駐在武官としての経験を通じ、欧米の圧倒的な工業生産力と技術力を肌身で痛感していた彼は、日米開戦に最後まで反対し続けた現実主義者でもありました。
特に彼が海軍航空本部技術部長や霞ヶ浦海軍航空隊司令を務めていた時期、航空機という未知の最新兵器を扱う搭乗員・整備員の育成は至難の業でした。危険と隣り合わせの若手兵士に対し、単なる軍律や威圧で命令しても能力は引き出せません。自ら先頭に立って搭乗し、技術を示し、若い部下たちの声に耳を傾けた実体験こそが、この言葉の原点となっています。
また、やってみせの語源・由来を探るうえで外せないのが、江戸時代中期の米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)の存在です。鷹山は財政破綻に瀕した米沢藩を再生させる際、以下の言葉を遺しました。
「してみせて 言ってきかせて させてみる(為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり)」
上杉鷹山が「自ら範を示すことで家臣や領民の意識を変革した」統治論であるのに対し、山本五十六の格言は、命のやり取りをする極限状態において「個の尊厳を認め、自発的な行動と成長を極限まで引き出す」人間心理マネジメントへと昇華されている点に決定的な違いがあります。