名列車「急行だいせん」廃止の真相!歴代車両と夜行急行の軌跡
関西と山陰を長年結び続けた名門列車が、なぜ終焉を迎えなければならなかったのか。その廃止理由には、複数の交通環境の変化が複雑に絡み合っています。
最大の要因は、高速道路網の整備に伴う「マイカーの普及」と「高速バスの台頭」です。1990年代以降、中国自動車道や米子自動車道の開通・延伸により、大阪・神戸と鳥取・米子を結ぶ高速バス路線が次々と開設されました。高速バスは夜行便だけでなく昼行便も頻発運行され、運賃の安さと目的地中心部へダイレクトにアクセスできる利便性で急速にシェアを拡大しました。
さらに、1994年の智頭急行線開業と特急「スーパーはくと」の運行開始が決定打となりました。大阪から鳥取・倉吉方面への所要時間が大幅に短縮されたことで、わざわざ夜行列車で一晩かけて移動する必要性が薄れ、昼間の高速移動へと利用者の流動が完全にシフトしたのです。
加えて、大阪〜米子間という中距離区間における「夜行列車」自体の利用価値低下も挙げられます。深夜の停車時間調整によって乗車時間が間延びする夜行急行よりも、前夜にビジネスホテルに前泊するか、早朝の特急や新幹線乗り継ぎを利用するスタイルが定着。晩年の乗車率は著しく低下し、鉄道による夜行輸送の採算ラインを大きく下回ることとなりました。