松田陣平の命日はなぜ11月7日か?殉職理由と最期のメールを徹底追跡
松田陣平の命日は、本編の「現在」から遡ること3年前の11月7日です。そして、彼の無二の親友である萩原研二が殉職した日もまた、さらにその4年前にあたる7年前の11月7日と記録されています。ファンの間で「奇跡の偶然なのか、それとも演出上の作為なのか」と長年議論されてきたこの一致ですが、物語の構造を読み解くと、そこには極めて論理的で冷酷な同一犯による復讐の連鎖が存在していました。
事の発端は7年前の11月7日、東京都内の浅井町にある高層マンションに仕掛けられた爆弾事件にあります。当時、警視庁警備部機動隊爆発物処理班のエースとして現場に踏み込んだ萩原研二は、卓越した解体技術で起爆装置を停止させました。しかし、逃走中の共犯者が警察の追跡を逃れる最中にパトカーに跳ね飛ばされて死亡。これに激昂した主犯の爆弾魔が、停止していたはずの時限装置を遠隔操作で再び作動させたのです。防護服を脱いで煙草を一服していた萩原は、退避が間に合わず爆風に呑み込まれて殉職しました。
相棒を理不尽な形で奪われた松田陣平は、強い復讐心を抱き、犯人を自らの手で検挙するために捜査一課への転属を執拗に直訴し続けました。しかし、頭に血が上った状態を危惧した上層部によって要望は退けられ、彼が実際に捜査一課強行犯捜査三係へ配属されたのは、事件から4年が経過した「3年前」のことでした。
そして迎えた3年前の11月7日。警察への怨嗟を募らせていた爆弾魔は、警察をあざ笑うかのようにあえて萩原を殺害したのと同じ11月7日を選んで予告状を送り付け、再び爆弾テロを敢行したのです。つまり、二人の命日が重なったのは偶然の産物ではなく、犯人の異常な執念と、親友の無念を晴らそうと最前線に飛び込んだ松田の宿命が交錯した結果でした。