伊賀上野城の高石垣と歴史の真相!藤堂高虎の罠と2026年見どころ解説
日本国内数ある名城の中でも、日本100名城 伊賀上野城の存在感を際立たせているのが本丸西面にそびえる巨大な石垣です。水堀からの高さは約30メートルに達し、徳川大坂城の石垣と並び日本屈指の高さを誇ります。映画監督の黒澤明氏が名作『影武者』のロケ地に選んだことでも知られ、足がすくむほどの急勾配を描く「打込接(うちこみはぎ)」の石積技術はまさに圧巻の一言です。
なぜ内陸の盆地にこれほど桁外れの防壁が必要だったのか。その背景には、徳川家康と豊臣家の対立という伊賀上野城 歴史 真相が深く関わっています。もともとこの地は筒井定次が三層の天守を構えていましたが、関ヶ原の戦い後、家康は築城の名手である藤堂高虎を伊賀・伊予の領主として送り込みました。
高虎に課せられた使命は、豊臣秀頼のいる大坂城を東側から強烈に威嚇・封じ込める「対大坂の最前線要塞」を完成させることでした。高虎は本丸を西側に大きく拡張し、大坂方面からの大軍の急襲を完全に阻止すべく、前代未聞の伊賀上野城 高石垣を築き上げたのです。慶長17年(1612年)の大暴風雨により当時建設中だった五層の天守は倒壊したものの、直後の大坂の陣で豊臣方が滅亡したため五層天守が再建されることはありませんでした。しかし、残された高石垣の雄姿は、400年以上経った現代も高虎の軍事思想の凄みを雄弁に物語っています。