稲盛和夫の経営哲学と生き方|Jal再建と名言が教える成功法則
稲盛和夫氏の歩みは、決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。鹿児島での少年時代には結核を患い、大学受験や就職活動でも挫折を経験。ようやく入社した京都の碍子メーカー・松風工業も倒産寸前の赤字会社でした。給与の遅配が続くなか、同僚が次々と去るなかで稲盛氏は研究室に寝泊まりし、ファインセラミックスの研究に没頭。この極限状態での努力が、後の大躍進の原点となります。
1959年、27歳のときに仲間とともに京セラ(京都セラミック)を創業。「技術者として世の中に認められたい」という当初の動機から、労働争議などを経て「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩発展に貢献すること」という高潔な経営理念へ昇華させ、世界的な電子部品メーカーへと育て上げました。
さらに1984年、通信自由化の波に乗って第二電電(現KDDI)を創業。電電公社(現NTT)という巨大独占企業に挑む際、半年間にわたって毎夜「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答を繰り返した逸話はあまりに有名です。国民のために通信料金を下げたいという純粋な大義名分を掲げた同社は、現在に続く巨大通信キャリアへと成長を遂げました。
そして晩年の最大のハイライトが、2010年のJAL(日本航空)再建です。当時78歳、航空業界の経験が皆無だった稲盛氏は、無給の会長として就任。「官僚的」と揶揄された大組織の意識改革を断行し、わずか2年8ヶ月で東証一部への再上場、過去最高益の計上という歴史的再生劇を演じてみせました。