高倉健と妻・江利チエミの真実|離婚理由と養女が継いだ遺産の全貌
子供の喪失という悲劇を乗り越えようとしていた夫婦を、さらなる試練が襲います。1970年1月、東京・世田谷区瀬田にあった二人の愛の巣が漏電により全焼。世田谷自宅の火災で思い出の品々を焼き尽くされた出来事は、家庭の歯車が狂い始める不吉な予兆となりました。
そして最大の決定打となったのが、世間を震撼させた「異母姉事件」です。チエミが全幅の信頼を寄せて家政婦兼経理担当を任せていた異母姉(実父の妾の子)が、チエミの印鑑や権利書を悪用して高利貸しから莫大な借金を重ねていたことが発覚します。
被害総額は当時の貨幣価値で数億円、現在の価値に換算すれば十数億円以上にのぼる巨額負債でした。異母姉はチエミの実印を使って実家の不動産を抵当に入れ、実妹の財産を食い潰しただけでなく、高倉健とチエミを離間させるための卑劣な中傷工作まで行っていたのです。
「これ以上、健さんに迷惑をかけるわけにはいかない」「日本を代表する大スターとなった高倉健の看板に泥を塗ることはできない」。思い詰めたチエミは、自責の念から身を引くことを決意します。高倉健自身は苦境を共に乗り越える道を望んだとされていますが、チエミの決意は固く、1971年9月に無念の離婚に至りました。
離婚後、チエミは一切の弱音を吐かず、全国の地方巡業やキャバレー回りを続けながら、10年以上をかけて巨額の借金を全額完済しました。しかし、心身を酷使し続けた代償はあまりに大きく、1982年2月13日、港区高輪のマンションで45歳の若さで急逝。死因は脳卒中と、風邪薬とアルコール摂取に伴う吐瀉物の誤嚥による窒息死でした。
皮肉にもチエミの遺体が発見された3日後の葬儀日は、かつて二人が愛を誓い合った2月16日(結婚記念日かつ二人の誕生日)でした。高倉健はマスコミの過熱報道を避けるため本葬には参列せず、早朝にチエミの棺へ花を手向け、車中で静かに涙を流したと伝えられています。