中村獅童の父はなぜ歌舞伎を去ったのか?初代の素顔と名門萬屋の血脈
父が現役役者ではないという逆境の中で、二代目中村獅童さんを歌舞伎役者として育て上げた最大の立役者が、母・小川陽子(おがわ・ようこ)さんでした。
8歳で二代目中村獅童を名乗り初舞台を踏んだものの、幹部俳優の父親がいない獅童さんには、楽屋での定位置すらおぼつかない日々が続きました。他の御曹司たちが華やかな役を与えられる傍ら、獅童さんに回ってくるのは台詞の一言もない兵士や通行人ばかりでした。
そこで母・陽子さんは、自ら着物を着て連日劇場に通い詰め、周囲の役者や関係者、贔屓筋への挨拶回りを徹底して行いました。「息子をどうかよろしくお願いいたします」と頭を下げ続ける母の姿を見て、獅童少年は「絶対にこの世界で頭角を現して、母に恩返しをする」と心に誓ったと語られています。
20代になっても本公演での大きな役に恵まれなかった獅童さんは、伝統の枠組みにとどまらず、自らの足で映画やドラマのオーディションを受けに行きました。2002年の映画『ピンポン』でドラゴン役を射止め、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したことで風向きは一変します。外部での圧倒的な評価を引っ提げて歌舞伎の舞台へ凱旋するという、前代未聞の突破口を切り開いたのです。
2013年12月に陽子さんが急逝された際、獅童さんは「母がいなければ今の自分は100%存在しなかった」と涙ながらに語りました。母の執念と息子の反骨心こそが、萬屋の血脈を再びトップシーンへと押し上げる原動力となりました。