大鏡「三船の才」を徹底攻略!藤原公任の悔恨と現代語訳の全真相
多くの高校生や古典読者が疑問を抱くのが、「見事に絶賛されたのなら、なぜ公任は後悔したのか?」という点です。教科書や問題集で問われるこの理由の根底には、平安貴族社会のリアリズムが横たわっています。
公任は後日、親しい人々に向かって次のような本音を吐露しました。
「自分は漢詩の舟に乗るべきだった。もし漢詩の舟に乗り、あの和歌と同じレベルの優れた漢詩を作っていたならば、私の名声はいかばかり天下に上がったことだろうか。ところが、和歌の舟に乗ってあの程度の歌を詠んだところで、周囲の人々は『公任殿ならこれくらい詠めて当然だ』と、特別驚きも評価もしてくれなかった。舟の選び方を見誤ってしまったことが、なんとも口惜しい」
公任が和歌を選んだ当初の理由は、自らの本領であり、絶対に失敗が許されない大舞台で確実に最高の結果を出せる「最も自信のある分野」だったからに他なりません。しかし、あまりにも才能がありすぎたがゆえに、「出来て当たり前」という周囲の高いハードル(期待値の罠)に呑まれてしまったのです。
公任にとっては、80点の及第点ではなく、常に120点の衝撃を宮廷社会に与えることこそが自尊心の拠り所でした。政治的な権力闘争において藤原道長の後塵を拝していた公任にとって、文化・教養の領域だけは道長を圧倒し、宮廷の生ける伝説であり続けなければならなかった――その凄まじいプライドが、この「驚きの後悔」を生み出したのです。