豊臣秀吉の子孫は現在も実在?木下家が継ぐ血脈と生存説の真相
慶長20年(1615年)の「大坂夏の陣」で大坂城が落城した際、豊臣秀頼と母の淀殿は自害し、秀吉が築いた豊臣政権の宗家は滅亡しました。徳川幕府は豊臣の血を徹底的に根絶やしにする方針を採り、秀頼の幼い息子であった豊臣国松は京都の六条河原で処刑されました。当時わずか8歳だったと伝えられています。
一方、秀頼の娘であった少女は助命され、鎌倉の東慶寺に入寺して「天秀尼(てんしゅうに)」と名乗りました。天秀尼は後に東慶寺の第20世住持となりますが、正保2年(1645年)に後継ぎを残すことなく死去。公式の歴史記録においては、この天秀尼の死をもって「豊臣秀吉の直系子孫は完全に断絶した」と結論づけられています。