三井グリーンランド熊本の改名理由と真相|三井が消えた背景と現在
「三井グリーンランド」から三井の名が消えた理由を紐解くには、昭和の高度経済成長期と三井三池炭鉱の歴史にまで時計の針を巻き戻す必要があります。
同園は1966年7月、三井鉱山(現・日本コークス工業)の子会社であった「三井三池開発」によって開業しました。エネルギー革命によって石炭から石油への転換が進み、炭鉱の合理化・閉山が現実味を帯びるなか、炭鉱労働者の雇用維持と地元・有明海沿岸地域の振興を狙って開発されたのがこの遊園地でした。炭鉱閉山という暗い影が地域を覆うなか、子供たちの歓声が響く「グリーンランド」は、炭都・荒尾の新たな希望の象徴だったのです。
転機が訪れたのは2000年代半ばです。親会社である三井鉱山は、巨額の負債を抱えて産業再生機構の支援を受けることとなり、主力事業である石炭・エネルギー分野への選択と集中を余儀なくされました。その一環として、非中核事業であったレジャー施設「三井グリーンランド」の保有株式を売却することが決定されたのです。
当時の報道発表資料および決算関連記録によると、2005年秋に三井鉱山が保有する株式は西部ガスや九州電力などの地元有力企業、ならびに九州の財界各社へ譲渡されました。この資本関係の完全解消を受け、2006年7月1日をもって園名から「三井」を外し、創業当初の「グリーンランド」へと名称変更が行われました。ネット上の一部で囁かれる「倒産による夜逃げ的な改称」といった噂は明白な誤りであり、実際には地域インフラ企業が支える体制へと移行した、計画的な自立と事業承継でした。