江戸時代の象はなぜ日本中を歩いたのか?吉宗の情熱と数奇な結末
享保14年(1729年)5月、象はついに江戸へ到着し、吉宗との対面を果たしました。吉宗は上機嫌で象を眺め、現在の浜離宮恩賜庭園にあたる浜御殿で手厚く飼育させました。
しかし、江戸到着から年月が経つにつれて現実的な問題が幕府に重くのしかかります。最大の問題は莫大な飼育費用でした。象は1日に大量の青草や藁、真水を消費するだけでなく、冬場の防寒対策や専門の世話係の人件費など、年間数百両にも及ぶ維持費がかかり続けました。財政再建を掲げる享保の改革を進める吉宗にとって、この出費は無視できない負担となっていきます。
さらに、成長に伴って象の気性が荒くなり、世話係を鼻で払って怪我をさせる事故も発生しました。持て余した幕府は寛保元年(1741年)、象の飼育を民間に委託することを決定。現在の東京都中野区本町にあたる武蔵国多摩郡中野村の農民・源助に象を払い下げました。
中野村に移された象は、源助の手によって飼育小屋が建てられ、見物料を取る「見世物」として一般公開されることになります。物珍しさから当初は多くの見物人が詰めかけ、中野村は大いに潤いました。