好き者とは単なる好色か風流人か?茶道の歴史と二面性の真相を徹底解明
言葉の起源を辿ると、好き者の語源と由来は古代日本語の動詞「好く(すく)」に遡ります。平安時代の宮廷社会において、この「すく」は風流心を持ち、和歌や管弦の道に秀でていることを意味していました。
当時の王朝文学である『伊勢物語』や『源氏物語』では、教養と美意識を兼ね備えた魅力的な人物を色好みと表現しました。平安貴族にとって、洗練された美意識と高度な恋愛作法は表裏一体であり、粗野な好色と雅やかな「好き心」は明確に峻別されていたのです。
中世から近世へと時代が移ると、この美への偏愛は茶の湯の空間へと受け継がれます。室町幕府の同朋衆から千利休に至る数奇者の茶道における歴史を通じて、「数寄」は茶の湯の代名詞へと昇華しました。織田信長や豊臣秀吉が名物茶器一つに城と同等の価値を見出したように、自らの美学のために全てを賭ける姿勢こそが「数寄者」の真髄とされたのです。
ところが江戸時代中期、町人文化の開花とともに言葉の受容に大きな転換点が訪れます。貞享3年(1686年)に刊行された井原西鶴の代表作『好色一代男』では、主人公・世之介が生涯をかけて色道に耽溺する姿が描かれ、好色一代男と好き者のイメージが庶民の間で不可分に結びつきました。これにより、本来は風流の求道者を指した言葉が、次第に性的な好色さを揶揄する俗語としてのニュアンスを強めていくことになりました。