連合赤軍・永田洋子の真相|山岳ベース事件の狂気と獄中死の結末
山岳アジトでの大量死という常軌を逸した事態のなか、警察の捜査網は確実に狭まっていました。1972年2月16日、妙義山のアジトを出て活動資金の調達と連絡のために下山した永田洋子と森恒夫は、群馬県内で警察官によって逮捕されます。
最高指導部を失った残されたメンバーは、坂口弘を中心に警察の追跡を逃れて長野県軽井沢へと移動。保養所「あさま山荘」に管理人の妻を人質にして立てこもるあさま山荘事件を引き起こしました。雪中での銃撃戦と鉄球による突入作戦はテレビで生中継され、列島全体に計り知れない衝撃を与えました。
山荘事件の終結後、警察の捜査によって山岳ベースから遺体が次々と発掘され、仲間同士による凄惨なリンチ殺人の全貌が白日の下に晒されることとなりました。