波留敏夫の現在と指導者人生の真実|マシンガン打線から中日退任の真相
波留敏夫氏の現役キャリアを語る上で欠かせないのが、横浜ベイスターズ時代の圧倒的な存在感です。京都の大谷高校から熊谷組を経て、1993年ドラフト2位(逆指名)で入団。俊足巧打の外野手として頭角を現し、1998年には「2番・センター」としてマシンガン打線の象徴となりました。
当時の横浜打線は、1番の石井琢朗氏から始まり、3番の鈴木尚典氏、4番のロバート・ローズ氏、5番の駒田徳広氏らへとつながる驚異的な破壊力を誇りました。その中で波留氏は、進塁打や犠打だけでなく、自らも勝負強く安打を量産する「超攻撃型2番打者」として機能。1998年シーズンは打率.298、67打点、12盗塁を記録し、得点圏打率の高さで相手バッテリーに強烈なプレッシャーを与え続けました。
通算成績は894試合、726安打、打率.273、41本塁打、269打点、88盗塁。2001年シーズン途中には種田仁氏らとの大型トレードで中日ドラゴンズへ、さらに2003年には酒井忠晴氏とのトレードで千葉ロッテマリーンズへと渡り歩き、どのチームでも常に全力疾走と闘志を前面に出すプレースタイルでファンを魅了しました。