朝永振一郎の素顔とくりこみ理論|湯川秀樹との絆が生んだノーベル賞
偉大なノーベル賞学者として神格化されがちな朝永振一郎ですが、ネット上で見られる「終始エリート街道を歩んだ天才」というイメージは事実と異なります。彼の経歴には数多くの挫折と、人間味あふれるエピソードが散りばめられています。
1937年、朝永は量子力学の創始者の1人であるヴェルナー・ハイゼンベルクのもとへ留学するため、ドイツ・ライプツィヒ大学に渡りました。しかし、異国の地で思うように研究成果が出ず、重度の体調不良や神経衰弱、ホームシックに苦しめられます。当時の日記『滞独日記』には、研究への焦燥感や孤独、ベッドから起き上がれない日々の苦悩が生々しく書き残されており、決して順風満帆な留学ではありませんでした。
また、プライベートにおける朝永は非常に気さくでユーモアを愛する人物でした。大の酒好きで知られ、泥酔して電柱にぶつかってメガネを壊した話や、寄席に通い詰めて落語の語り口を講義に取り入れた話など、愛すべき逸話が数多く残されています。
家族関係においては、京都帝国大学で西洋哲学講座の教授を務めた著名な哲学者・朝永三十郎を父に持ち、幼少期から知的な環境で育ちました。妻のすず(物理学者・河合十四郎の娘)とは深い信頼関係で結ばれており、家庭内では穏やかで良き家庭人として過ごしたと伝えられています。