西郷隆盛の顔が違う理由とは?教科書の肖像画の嘘と本物の真相
幕末から明治維新にかけて活躍した志士たち——坂本龍馬、大久保利通、木戸孝允、勝海舟などは、いずれも鮮明なガラス乾板写真や肖像写真を数多く残しています。同世代の最高権力者であった西郷隆盛の写真がなぜ1枚も残っていないのか、その背景には3つの明確な理由が存在します。
1. 暗殺・テロを避けるための高度な防犯対策
明治維新前後は政敵や不平士族による要人暗殺が日常茶飯事でした。軍事・政治の最高指導者であった西郷は、自分の正確な人相が市中に知れ渡ることを極度に警戒し、替え玉を立てる余地を残すためにも写真撮影を頑なに拒否したとされています。
2. 当時の写真に対する迷信と宗教的忌避感
幕末期、写真技術は「魂を吸い取られる」「寿命が縮む」といった迷信とともに受け止められていました。迷信深い一面のあった当時の武士層において、合理主義を貫きつつも古風な価値観を重んじた西郷が撮影を嫌ったのは自然な心理でもありました。
3. 徹底した無私無欲と自己顕示欲の欠如
西郷は「敬天愛人」を信条とし、自身の功績を誇ることを何より嫌いました。明治新政府が公式記録として写真撮影を要請した際も、「自分のような者が姿を残す必要はない」と固辞し続けた事実が政府の公文書記録からも確認できます。