長渕剛『順子』のモデル女性は実在した?誕生秘話と別れの真相を徹底解説
『順子』が世に出るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。1978年に『巡恋歌』で本格的な再デビューを果たした長渕剛ですが、当初から商業的な大成功を収めていたわけではありませんでした。四畳半一間のアパートでインスタントラーメンをすすり、冬の寒さに耐えながらギターをかき鳴らす日々が続いていたのです。
1979年11月5日、長渕はセカンドアルバム『逆流』をリリースします。このアルバムのB面1曲目に収められていたアコースティックナンバーこそが『順子』でした。当初、レコード会社側がシングル曲として強力にプッシュしていたのは、壮大なストリングスを配した『涙のセレナーデ』でした。
当時のシングル盤事情とヒットの推移を客観的なデータで比較検証してみましょう。
1980年6月5日、シングル『順子 / 涙のセレナーデ』がリリースされると、深夜ラジオのリスナーや街の有線放送から火がつきます。リクエストが殺到したのは、制作陣が本命視していた『涙のセレナーデ』ではなく、アコギの素朴な響きが胸を打つ『順子』でした。あまりの反響の大きさに、レコード会社は急遽ジャケットのメイン扱いを『順子』へと切り替える異例の対応を取りました。有線チャートを駆け上がった本作は、1980年8月にオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得。6週連続で首位を独走し、長渕剛という名を日本中に決定づけたのです。