徳川家康の墓はどこにある?日光と久能山の謎や遺骨の真相を徹底追究

徳川家康の墓はどこにある?日光と久能山の謎や遺骨の真相を徹底追究について知っておくべき 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。

徳川家康の墓にまつわる話題の中で、インターネットや歴史愛好家の間でまことしやかに語り継がれているのが「遺体ミイラ説」と「日光への空棺移送説」です。

遺体ミイラ説の科学的根拠と限界

家康の遺体はミイラ化されているのではないかという仮説は、完全な荒唐無稽のデマとも言い切れません。その根拠とされているのが、昭和33年(1958年)に東京・芝の増上寺にある徳川将軍家墓所が改葬された際の大規模学術調査です。

東京大学名誉教授の鈴木尚博士ら人類学チームが調査したところ、二代秀忠をはじめ、十四代家茂、その正室・和宮らの遺体は極めて良好な状態で残されており、遺体には水銀や石灰を用いた防腐処置が施されていたことが判明しました。特に十四代家茂の遺体などは、ほぼ完全なミイラ状態で発掘されています。

家康が没した元和2年4月は、現在の暦に直すと初夏にあたる5月下旬から6月にかけての高温多湿な時期でした。駿府城で絶命した遺体をそのまま久能山の土中に埋めれば急速に腐敗が進むことは自明であり、当時最高峰の薬草や防腐剤、多量の塩・酒を用いた処置が施された可能性は極めて高いと考えられています。ただし、現在に至るまで久能山の御神廟も日光の奥宮も一切の発掘調査が行われていないため、「科学的にミイラと証明された事実」は存在せず、あくまで類推の域を出ません。

深夜に出立した改葬行列|棺の中身は空だったのか?

元和3年3月、久能山から日光へと家康の棺が移送された際、行列は深夜に久能山を出立しました。道中では怪死した従者の噂や、行列の警備が異常なほど厳重であったことなどが当時の記録に残されており、「実は日光へ運ばれた棺は空であり、遺骨は久能山に埋めたまま幕府の威信のために偽装工作をしたのではないか」という遷座フェイク説が生まれました。

しかし、当時の神道・仏教観において、深夜の神事や遷宮は決して怪しい儀式ではなく、むしろ最も神聖かつ清浄な時間帯に行われるのが習わしです(伊勢神宮の式年遷宮における遷御の儀も深夜に行われます)。日光山輪王寺や日光東照宮の古記録を精査すると、天海僧正は極めて厳格に儀礼を遂行しており、仮に遺骨そのものを動かしていなかったとしても、それは欺瞞ではなく「肉体は久能山の土へ還し、完全なる魂を日光の神廟へ招く」という宗教的必然性に基づいていたとみるのが妥当です。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。