山一抗争のキーマン加茂田重政、激動の裏側と暴かれた衝撃の真実
加茂田の原点は、カリスマ的指導者であった田岡一雄三代目組長のもとで拡大を続けた山口組の躍進期にある。若くして頭角を現した加茂田は、徹底した現場主義と圧倒的な腕力で組織内での地位を確立していった。傘下の加茂田組は「泣く子も黙る武闘派集団」として神戸から全国へとその名を轟かせ、全国各地で起きた数々の縄張り争いで先頭に立ち続けた。
田岡体制下の加茂田は、単なる暴力要員ではなかった。配下の組員たちに対する徹底した面倒見の良さと、義理人情を重んじる昔気質の侠気によって強烈な求心力を誇っていた。当時の加茂田組本部は常に張り詰めた空気が漂い、彼の一号令で数百人の戦闘要員が動くと言われたほどの動員力を持っていた。この時期に培われた強烈な自負こそが、皮肉にも後の巨大な決裂へと彼を突き動かす原動力となってしまう。