東京スカパラの現在と伝説!豪華コラボと過酷なメンバー変遷の全真相
今でこそ多幸感あふれるサウンドで世界を包み込むスカパラですが、その歴史は決して平坦なものではありませんでした。むしろ、並大抵のバンドであれば一度の出来事で解散に追い込まれても不思議ではない「致命的な危機」を幾度も経験しています。
スカパラの結成は1980年代後半。パーカッショニストのASA-CHANGを中心として、東京のクラブシーンやストリートカルチャーの中で産声を上げました。圧倒的なファッションセンスと、ジャマイカ生まれの「スカ」にパンクやジャズ、歌謡曲の要素を融合させた無国籍なサウンドは、インディーズ時代からサブカルチャー界隈を瞬く間に席巻。1990年にシングル『MONSTER ROCK』でメジャーデビューを果たします。
しかし、商業的成功と活動規模の拡大に伴い、バンドの内部には大きな軋轢が生じ始めました。1993年、バンドの精神的支柱であり発起人であったASA-CHANGが電撃脱退。自身の音楽的探求と、大所帯バンドをマネジメント・牽引していくプレッシャーとの乖離が主な要因と伝えられています。創始者を失ったスカパラは、初期最大のアイデンティティクライシスに直面しました。
試練はそれだけに留まりませんでした。1995年には、バンドの華やかなフロントマンとして絶大なカリスマ性を放っていたボーカルのクリーンヘッド・ギムラが脳腫瘍により急逝。33歳という早すぎる死に、メンバーは言葉を失いました。さらに1999年には、バンドのタイトなビートを支え続けてきた初代ドラマーの青木達之が鉄道事故によりこの世を去るという、受け止めがたい悲劇が重なります。
当時の特番インタビューや後年の手記において、メンバーは「青木が亡くなったとき、本当にバンドが終わるかもしれないという暗闇の中にいた」と吐露しています。重鎮メンバーが相次いで欠けていく絶望的な状況下で、彼らはなぜ解散を選ばなかったのか。それは「遺された音と志を途絶えさせてはならない」という、音楽に対する狂気にも似た誠実さでした。
2008年には、アジテーターとしてステージの起爆剤であった冷牟田竜之が、1996年の海外ツアー中に遭った交通事故の後遺症(脚の不調)治療に専念するため、苦渋の決断として脱退を発表。ファンに大きな衝撃を与えましたが、これもまた互いの人生を極限まで尊重し合った末の「前向きな別れ」でした。