美大落ちおじさんとは誰?元ネタの歴史とウィーン不合格の真相を解説
美大入試に失敗した後の数年間、ヒトラーはウィーンの貧民街や浮浪者収容所を転々としながら、水彩画や絵葉書の模写を売って日銭を稼ぐ「貧困画家」として生活していました。この時期に彼が描いた絵画は現在も数百点ほど現存しており、歴史的遺物としてオークションに出品されることもあります。
彼が好んで描いたモチーフは、ウィーン市内の歴史的建造物や教会、街並みといった都市風景でした。定規で測ったかのように精緻な直線、正確な透視図法(パースペクティブ)、細部まで破綻のない建築ディテールは、現代の鑑賞者の目から見ても一定の技術的水準に達しているように見えます。
しかし、当時の美術批評家や現代の美術史家による専門的な評価は総じてシビアです。「建築の設計図や絵葉書の複製としては極めて正確だが、人間味や感情の揺らぎ、生命感が一切感じられない」「人物が描かれていても風景の単なる添え物に過ぎず、構図に独創性や前衛性がない」といった指摘がなされています。19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンといえば、クリムトやシーレに代表される表現主義や象徴主義が花開いた革新の時代。古典的なアカデミズムの枠内ですら無難な写実に終始した彼の作風は、当時のアートシーンの潮流からも大きく取り残されていたといえます。