幻となったアジア初の平和祭典!開戦前夜に消えた招致劇の真実
この大会の招致を語る上で欠かせない人物が、柔道の創始者であり日本人初の国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた嘉納治五郎だ。嘉納は西洋中心だった当時のスポーツ界において、「スポーツによる世界平和と東西文化の融合」を熱弁。1936年のベルリンIOC総会において、見事な英語のスピーチと持ち前の外交手腕で東京招致を勝ち取った。
だが、その直後から日中戦争が勃発し、欧米諸国からは東京開催への疑問とボイコットの声が相次ぐようになる。嘉納は80歳近い老躯に鞭を打ち、各国の委員を説得するため世界中を飛び回った。「平和の祭典こそが戦争を止める」という揺るぎない信念を胸に、彼は文字通り命を削って対話に臨んだのだ。
しかし、帰国の途上であった1938年5月、嘉納は太平洋上の氷川丸船内にて急死する。自らが引き寄せたはずの夢が手からこぼれ落ちていくのを見届けることなく息を引き取った彼の無念は、今もスポーツ史に深く刻まれている。