エルサレム聖地シオンの丘の真相|最後の晩餐とダビデ王の墓の謎

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旧約聖書を紐解くと、「シオン(Zion / Tziyon)」という言葉は元来、紀元前1000年頃にダビデ王がエブス人から征服した要塞、すなわち現在の神殿の丘の南東に広がる「ダビデの町(City of David)」を指していました。その後、ソロモン王が第一神殿を築いたことで、シオンという呼名はやがてエルサレム全域や神の都そのものを象徴する神聖な概念へと拡大していきました。

現在私たちが目にするシオン門の外側に広がる丘が「シオンの山」と呼ばれるようになった背景には、古代の地理的誤認と歴史の変遷が存在します。紀元1世紀の歴史家フラウィウス・ヨセフスが、エルサレム南西部の高台(西の丘)を「ダビデの要塞があった場所」と誤って記録したことを端緒とし、4世紀以降のビザンツ帝国のキリスト教徒たちがこの地を「シオンの丘」として定着させました。

学術的な発掘が進んだ現代では、本来のダビデの町とは異なる丘であることが判明していますが、千数百年以上にわたって積み重ねられた巡礼者たちの祈りと歴史の厚みそのものが、この西の丘を揺るぎない聖地へと昇華させた事実は否定できません。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。