郭源治の現在2026|息子・佳久創の活躍と100勝100セーブの真相
ナゴヤ球場のマウンドで郭源治が見せたパフォーマンスは、数字以上のインパクトをファンの心に刻み付けました。1987年に星野仙一が監督に就任した際、チームの弱点であった終盤の継投を盤石にするため、エース格だった郭へ直接「抑えに回ってくれ」と直訴。郭はこの要請を意気に感じて快諾し、中日の「守護神」へと進化を遂げました。
150キロを超える剛速球と切れ味鋭いスライダーを武器に、最後の打者を打ち取った瞬間に両拳を激しく突き上げる跳躍ガッツポーズは、ナゴヤ球場の名物となりました。1988年のリーグ優勝決定試合で胴上げ投手となり、歓喜の涙を流したシーンは今も語り草です。さらに、1994年の伝説の「10.8決戦(巨人との同率首位最終決戦)」では先発として魂の力投を見せるなど、チームの命運を託される大一番には常に郭源治の背中がありました。
NPB引退後、1997年に母国・台湾の台湾プロ野球(CPBL)で現役復帰した際も、圧倒的な存在感を発揮。1999年のシドニー五輪予選(アジア野球選手権)では43歳にしてチャイニーズタイペイ代表のエースとして先発し、若き日の松坂大輔を擁する日本代表を相手に一歩も引かない快投を披露したエピソードは、日台の野球史に燦然と輝く伝説です。