元力士・寺尾の早すぎる死因と病気の真相とは?弟子・阿炎へ遺した魂の絆
昭和54(1979)年夏場所で初土俵を踏んだ寺尾は、幕内定着とともに瞬く間に社会現象級の人気を獲得しました。その最大の要因は、従来の「恰幅の良いお相撲さん」というイメージを覆す、彫りの深い端正な顔立ちと引き締まった筋肉質の肉体美でした。
当時の大相撲雑誌や女性グラビア誌では頻繁に表紙を飾り、「土俵の貴公子」の愛称で女性ファンを熱狂させました。本場所の入り待ちや巡業先では黄色い声援が飛び交い、バレンタインデーには部屋にダンボール数箱分のチョコレートが届いたというエピソードは、当時の狂騒ぶりを物語っています。しかし、本人は単なるビジュアル先行のアイドル力士として見られることを極端に嫌いました。
四股名である「寺尾」は、入門直前に41歳の若さでがんで他界した最愛の実母・節子さんの旧姓でした。母を失った喪失感を抱えながら、「母の名を汚すような不甲斐ない相撲は絶対に取れない」という強固な決意を胸に土俵へ上がり続けたのです。端正な容貌の奥底には、泥臭く相手を圧倒しようとする並々ならぬ執念と覚悟が秘められていました。