ミュンヘン五輪の光と影|テロ事件の全貌と日本男子バレー金メダルの真実
事件の展開を決定づけたのは、西ドイツ警察によるお粗末極まりない突入・救出作戦でした。黒い九月事件の全貌を追うと、当時の警察組織が現代的な対テロ作戦のノウハウを何一つ持ち合わせていなかった実態が浮き彫りになります。
宿舎周辺に配置された警官隊の突入準備は、テレビ中継を通じて宿舎内のテロリストにリアルタイムで筒抜けとなっており、作戦は即座に中止。最終的に当局は、テロリストと人質をヘリコプターで近郊のフュルステンフェルトブルック空軍基地へ移動させ、そこで狙撃・制圧する計画を立てました。これがイスラエル選手団人質事件の経緯における最大の悲劇の引き金となります。
空港での待ち伏せ作戦には、次のような信じがたい不備が重なっていました。
- 狙撃手の不足と技量不足:テロリスト8名に対し、配置された狙撃手はわずか5名。さらに彼らは対テロ訓練を受けたスナイパーではなく、通常の一般警察官で、ライフルにはスコープや夜間暗視装置すら装着されていなかった。
- 指揮系統の通信麻痺:配置された狙撃手同士、また指揮本部との間に無線機が配備されておらず、互いの射撃タイミングを合わせることが不可能だった。
- 装甲車の到着遅延:空港周辺に野次馬や報道車両が殺到し、大渋滞が発生したため、警備を支援するはずの装甲車が銃撃戦の開始に間に合わなかった。
- 旅客機内詰め警官の独断撤退:ルフトハンザ機内で偽の乗務員に扮して奇襲する予定だった警官隊が、作戦決行直前に「自殺行為である」と判断し、独断で機外へ脱出・逃亡していた。
9月5日午後11時前、テロリストがヘリを降りた瞬間、統制を欠いた発砲が始まり激しい銃撃戦へと発展。翌9月6日未明、追い詰められたテロリストの手榴弾によってヘリコプターは爆炎に包まれ、人質となっていたイスラエル選手・コーチら9名全員が死亡しました。警官1名とテロリスト5名も死亡し、作戦は完全な失敗に終わったのです。さらに、事件発生から間もなくIOCのアベリー・ブランデージ会長が発した「大会は続けられなければならない(The Games must go on)」という言葉は、世界中で激しい倫理的論争を巻き起こしました。