【2.26事件の真相】なぜ起きた?青年将校の動機と昭和天皇の怒り・結末

【2.26事件の真相】なぜ起きた?青年将校の動機と昭和天皇の怒り・結末とはどのようなものなのか? 詳しい意味を丁寧に紐解いて紹介します。

事件の首謀者たちには、極めて苛烈かつ迅速な処分が下されました。設置された特設軍法会議は「一審制・非公開・弁護人なし」という異例の軍法会議であり、反乱の全貌が公の法廷で語られる機会は封じられました。

首謀者である青年将校や思想的指導者らには死刑判決が下され、東京・代々木の陸軍刑務所敷地内で銃殺刑が執行されました。

【主な死刑執行・自決者】

  • 自決:野中四郎(歩兵大尉)、河野寿(航空兵大尉)
  • 1936年7月処刑(青年将校ら15名):安藤輝三(歩兵大尉)、栗原安秀(歩兵中尉)、村中孝次(元歩兵大尉)、磯部浅一(元一等主計)、香田清貞(歩兵大尉)、竹嶌継秀(歩兵中尉)、対馬勝雄(歩兵中尉)ほか
  • 1937年8月処刑(民間指導者ら):北一輝(思想家)、西田税(元騎兵少尉)

この事件がもたらした最大の歴史的皮肉は、「皇道派の壊滅」によって、皮肉にも対立派閥であった「統制派」が陸軍の主導権を完全に掌握したことにあります。

「軍の意向を無視すれば、再びこのような暴動が起きかねない」という脅威を背景に、軍部は政治への発言力を爆発的に強めました。復活させた「軍部大臣現役武官制」を武器に内閣を意のままに操るようになり、日本は政党政治の息の根を止められ、日中戦争から太平洋戦争へと続く破滅的な軍部独裁の道を突き進むことになったのです。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

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