稲川裕紘の生涯と死因の真相|三代目の激動と父・聖城との確執
稲川裕紘の人生を語る上で避けて通れないのが、父・稲川聖城との複雑な親子関係です。初代・聖城は一代で関東屈指のメガ組織を築き上げた希代のカリスマであり、政財界のフィクサーとも太いパイプを持っていました。裕紘にとって父は絶対的な規範であると同時に、決して乗り越えることのできない「巨大な壁」でもありました。
三代目会長に就任して以降、裕紘は父の影から脱却すべく、独自の直系組織再編や経済活動の近代化を推し進めようとしました。しかし、最高実力者として君臨し続ける父・聖城の存在感は絶対であり、組織の重要方針を巡って父子の間で激しい意見の対立やすれ違いが生じることも少なくありませんでした。「父の期待に応えたい」という執念と、「父の傀儡では終わらない」という自立心の相克が、彼の孤高のリーダーシップを形作っていたと言えます。
そして、その血脈の重圧は次世代にも引き継がれました。裕紘の長男である稲川英希(いながわ ひでき)(ネット検索等で「稲川英生」と混同される例も見られますが、正しくは英希)は、青山学院大学経済学部を卒業したという、裏社会では極めて異例の高学歴キャリアの持ち主でした。大学卒業後は実社会で会社員を経験したのち、父の強い意向もあって組織入りし、三代目稲川会本部長などの要職を務めました。
しかし、2005年に父・裕紘が急逝すると、事態は暗転します。四代目継承を巡り、裕紘の側近・英希を推す勢力と、初代・聖城の意向を汲む長老派の間で深刻な対立が発生。組織分裂の危機に直面する中、英希は2006年から2007年にかけてヤクザ社会から完全に身を引く決断を下しました。2026年現在、英希は表社会の一私人・実業家として穏やかな生活を送っており、裏社会の権力構造とは一切の関わりを絶っています。