野田聖子の出産と息子の現在――50歳での決断が変えた日本の政治
退院後、野田氏を待ち受けていたのは「制度の壁」だった。日常的に人工呼吸器の管理やたんの吸引が必要な「医療的ケア児」は、当時の日本の保育所や学校ではほとんど受け入れ体制が整っていなかった。母親が一日中教室に付き添わなければ就学すら認められないという理不尽。政治の中枢にいる彼女ですら、一歩永田町を出れば途方に暮れる当事者の一人に過ぎなかった。
「わが子の存在を、この国を変える力にする」。野田氏は超党派の議員連盟を結成し、省庁の縦割り行政と粘り強く戦い続けた。そして2026年、国や自治体に医療的ケア児の支援を義務付ける「医療的ケア児支援法」の成立へと結実させる。政治家が自身の個人的な境遇を原動力として、法制度の不備を塗り替えた稀有な事例となった。