南高梅の読み方は「なんこううめ」?高校名由来の真相と名付けの歴史
「南高梅」という名称を語る上で欠かせないのが、名産地である和歌山県日高郡みなべ町(旧南部町・南部川村)で繰り広げられた、昭和の農業復興ストーリーです。「南の高原で採れた梅だから南高梅」「南高という自治体名があったのでは」といった推測はすべて誤りであり、実際のルーツは学校名と篤農家の強い絆にありました。
物語の始まりは1902年(明治35年)に遡ります。同地の農家・高田貞松氏が桑畑を梅畑に転換しようとした際、近隣の内中源蔵氏から購入した苗木の中に、ひときわ大粒で実付きが良く、美しい紅色に染まる優良樹を1本発見しました。高田氏はこれを大切に育て、近隣にも接ぎ木で分け広げ、当時は氏の名を取って「高田梅(たかだうめ)」と呼ばれていました。
転機が訪れたのは戦後の1950年(昭和25年)です。梅の産地として将来を見据えた南部町は、乱立していた品種を整理し、全国に誇れる最優秀品種を選定するための「梅受託撰定委員会」を設立。この壮大な調査研究の現場責任者として白羽の矢が立ったのが、和歌山県立南部高等学校(なんぶこうこう/通称:南高=なんこう)で教鞭を執っていた竹中勝太郎教諭でした。
竹中教諭と園芸科の高校生たちは、地域の山々に自生・栽培されていた114種もの梅の候補樹を足かけ5年にわたって徹底調査しました。収穫量、開花時期、耐病性、果実の大きさ、加工時の歩留まりに至るまで、泥だらけになりながら生徒たちが記録・分析を重ねたのです。その結果、高田梅が圧倒的な品質の高さで最優秀母樹に選出されました。
1954年(昭和29年)、新品種として名称を統一する際、原樹を育て上げた高田貞松氏の功績「高田」と、5年間にわたり献身的な調査研究を行った「南部高校(南高)」の双意を汲み、さらには学校側の多大な貢献に敬意を表して「南高」と名付けられました。そして1965年(昭和40年)に農林水産省へ品種登録され、名実ともに日本を代表する最高峰品種「南高梅」が誕生したのです。