太宰治『人間失格』のあらすじと結末の真相|葉蔵の道化と名言を徹底解説
第三の手記の終盤、モルヒネ中毒を治療する名目で連れて行かれた場所は、結核療養所ではなく精神病院(脳病院)でした。鉄格子の中に入れられた葉蔵は、次の独白を残します。
「狂人。しかし、自分は断じて狂っては居なかったのです。(中略)いまは、自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来たいわゆる『人間』の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした」
精神病院を出た葉蔵は、父の死に伴い実家の兄から東北の鄙びた温泉地のあばら家を買い与えられ、27歳にして白髪混じりの40歳以上に見える風貌で隠遁生活を送ります。「人間失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました」と手記は締めくくられます。
しかし、物語の本当の衝撃は「あとがき」にあります。手記を読んだ「私」に対して、かつて葉蔵を知っていた京橋のバーのマダムはこう語ります。
「私たちの知っている葉蔵さんは、とても素直で、気配りがあって、お酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも……神様みたいないい子でした」
この最後のセリフは、読者に強烈な問いを投げかけます。葉蔵自身は「自分は人間失格の罪人だ」と自己断罪していましたが、世間の側から見れば、彼は誰よりも他人に気遣いができる「純真で優しい被害者」だったのです。他者の悪意や欺瞞に傷つき、抵抗することすらできずに壊れていった葉蔵の姿が、マダムの一言によって逆説的に浮き彫りとなります。