安倍晋三の父・晋太郎はなぜ首相になれなかった?華麗なる一族の真相を徹底解説
誰もが総理就任を確信していた晋太郎が、なぜその座に就くことができなかったのか。その最大の転換点となったのが、1987年(昭和62年)10月の「中曽根裁定」です。
中曽根首相の後継を巡り、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3候補による熾烈な争いが繰り広げられました。当時、派閥の規模と党内融和を優先した中曽根氏が後継総裁に指名したのは、盟友関係にあった竹下登でした。「次は晋太郎」という密約的な空気感があったものの、政権獲得の好機を逃す形となりました。
さらに悲劇的な運命が襲います。1989年、自民党幹事長として竹下政権を支えていた最中、激しい腹痛に襲われ東京大学医学部附属病院に緊急入院します。診断結果は膵臓がんでした。当時、本人には病名が伏せられ「胆管結石」と告げられていましたが、病状は深刻を極めていました。
過酷な抗がん剤治療と手術を受けながらも、晋太郎は政界復帰への執念を燃やし、1991年4月には訪日したソ連のゴルバチョフ大統領との会談を強行します。しかし、すでに衰弱した体は限界を迎えており、会談のわずか約1カ月後である1991年5月15日、67歳で急逝しました。政権獲得を目前にした無念の死は、昭和政界のひとつの時代の終焉を象徴する出来事となりました。