なぜ鍵穴形なのか?前方後円墳の誕生と消滅、最新調査で迫る真相

なぜ鍵穴形なのか?前方後円墳の誕生と消滅、最新調査で迫る真相の疑問点について、専門知識を取りまとめてご紹介します。

列島各地で威容を誇った前方後円墳ですが、6世紀末から7世紀初頭にかけて突如として築造が打ち切られます。巨大墳墓の時代を終わらせた背景には、日本の国家構造を揺るがす3つの決定的要因がありました。

第一の理由は、「仏教公伝と寺院建立へのシフト」です。6世紀半ばに百済から仏教が伝来すると、権力者たちの関心は「自らの巨大な墓を造ること」から「壮麗な寺院(氏寺)を建立すること」へと移りました。法隆寺や飛鳥寺に代表される仏教建築こそが、最新のハイテク技術と富の新たなステータスシンボルとなったのです。

第二の理由は、「大化の改新(645年)と薄葬令(646年)」です。過剰な古墳築造による農民の疲弊を防ぎ、国の財政を健全化するため、身分に応じて墳墓の規模や副葬品を厳格に制限する法令が出されました。これにより、無駄に巨大な墳丘を築くことが法律で禁じられました。

第三の理由は、「ヤマト王権の体制変革(中央集権国家の成立)」です。前方後円墳はもともと「同盟関係を結んだ地方豪族同士の緩やかな連合」を示すシンボルでした。しかし、律令制による天皇中心の中央集権国家へと脱皮する過程で、地方首長に独自の前方後円墳を造らせる政治的意味そのものが消滅したのです。大王の墓も「八角墳」などの特別な形状へと変化し、前方後円墳の時代は幕を閉じました。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

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