「命がけの産声」大正時代の過酷な出産事情と近代医療の光と影
出産の安全性を高める運動は、単なる医療技術の改善にとどまらず、女性の権利主張や社会的地位向上運動とも深く結びついていた。日本初の女性公認医師である荻野吟子は、男性医師に身を委ねることを躊躇して受診を遅らせ、命を落とす女性たちを数多く目撃した経験から、女性医療従事者の育成と地位確立に生涯を捧げた。彼女が開いた道は大正期の女性運動家たちにも多大な影響を与えた。
また、文芸誌『青鞜』を創刊した平塚らいてうは、国家が母性を保護し、出産の負担を社会全体で支援すべきだとする「母性保護論争」を展開した。出産を個人の自己責任ではなく公的な価値として位置づけ直そうとした彼女たちの訴えは、女性が自らの身体と出産について声を上げ始めるきっかけとなった。大正という時代は、命を生み出す女性たちが自らの権利を自覚し始めた覚醒の期でもあった。