サッカー日本代表マークの真相|3本足のカラスと八咫烏の謎を徹底解明

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八咫烏のシンボルが誕生したのは、昭和初期の1931年(昭和6年)のことでした。当時、大日本蹴球協会(現・JFA)の理事長を務めていた内野台嶺(うちの・たいれい)氏ら創設メンバーが、「日本独自のアイデンティティを持ったシンボルを作ろう」と奔走したことが発端です。

この旗振り役となった人物の背景に、坪井玄道と日本サッカーの歴史の深い接点が存在します。明治時代に東京高等師範学校(現・筑波大学)で教鞭を執り、体操の普及とともに日本へ初めて近代サッカー(アソシエーション・フットボール)を体系的に紹介した坪井玄道氏は、八咫烏伝説の故郷である紀州・那智勝浦(和歌山県)に所縁の深い家柄の出身でした。日本にサッカーの種をまいた先達への敬意と、そのルーツである熊野の歴史を繋ぐアイデアとして、八咫烏の起用が提案されたと伝えられています。

意匠の具現化を担ったのは、昭和初期を代表する彫刻家の日名子実三(ひなこ・じつぞう)氏でした。日名子氏は、日の丸を連想させる白地に赤のストライプを配し、中央に三本足の八咫烏が前足で黄色いボールをしっかりとホールドする図案を完成させました。黄色いボールは「太陽の光線」を象徴し、八咫烏が太陽の化身である神話的ルーツを視覚化したものです。日本固有の神話芸術と近代グラフィックデザインの奇跡的な融合が、この瞬間に完成しました。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。