延喜・天暦の治はなぜ理想とされたのか?平安親政の虚実と真相に迫る

延喜・天暦の治はなぜ理想とされたのか?平安親政の虚実と真相に迫るに関する基本知識を徹底的にまとめました。要点を確実におさえることができます。

Q1:醍醐天皇の「延喜」と村上天皇の「天暦」の間にある朱雀天皇の時代は、なぜ含まれないのですか?
A1:朱雀天皇の在位期(930年〜946年)には、即位時に幼少であったことから伯父である藤原忠平が摂政に就任し、成人後も関白を務めたためです。「延喜・天暦の治」はあくまで摂政・関白を置かない「親政」が行われた期間を指す概念であるため、摂関が常設されていた朱雀天皇の時代は定義上除外されています。また、この時代に承平・天慶の乱という国家的大動乱が発生したことも、後世の為政者が「理想の聖代」から外した心理的要因といえます。

Q2:延喜の荘園整理令が出されたのに、なぜ荘園は減らずに増え続けたのですか?
A2:法令を出した朝廷の中枢にいた藤原氏自身や有力貴族、大寺社が最大の荘園領主だったためです。延喜の整理令は、形式的には「不法な荘園の停止」を謳いながらも、実際には有力権門が持つ既得権益の荘園を追認・免除する抜け穴が多く存在しました。さらに地方の受領たちも中央貴族への付け届けのために荘園拡大を黙認したため、公地公民制への回帰は名目だけに終わり、以後は受領が徴税権を請け負う「名田」を中心とした新たな荘園公領制へと移行していきました。

Q3:日本史の大学受験や学び直しにおいて、延喜・天暦の治で絶対に暗記すべき重要キーワードは何ですか?
A3:最重要キーワードは「親政(摂政・関白不設置)」「藤原時平による菅原道真大宰府左遷(昌泰の変)」「902年の延喜の荘園整理令(最後の班田収授)」「三善清行の意見封事十二箇条」「承平・天慶の乱による武士の登場」「延喜格式の編纂」「本朝十二銭最後の乾元大宝」の7点です。これらが「律令国家体制から中世王朝国家体制への移行期」という一つの歴史的文脈で結びついていることを把握することが理解の鍵となります。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。